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フッサールの現象学の問題について

この章は大変難しいと思われる内容です。精神科の精神病理学という私の専攻分野の話です。

読み飛ばしてもらって結構です。ただ、「精神科医とはこんなことを考えているのか」と参考程度にみてもらってもいいかと思います。

 

今回の問題の始まりは、主観と客観の整合性の問題です(西洋哲学ではデカルトやカントのテーマに類似します。さらにはプラトン的二元論かアリストテレスの一元論かという話に戻るところがあります。ただカントの結論では客観的認識は存在しないとされています)。

 

現象学について少し説明します。

「今、目の前にあるリンゴが本当に実在するのか、自分の想像の産物でしかないのか。」さらには、本当に実在していると仮定して、正確にその姿を真に認識できているのかという問題です。実際どっちでもいいような話なのですが、重要な意味があるのです。

 

目の前に患者さんがいるとします。その姿や症状、言葉を記録して、論文で発表したとします。最初に問われることの一つに、「そのように自分の見たものや感じたことを文章で表現するけれども、その自分の認識が本当に正確に客観性があると断言してもいいのか」という問題です。

見えているものは自分の思い込みに過ぎない偏見かもしれません。自分の思い込みであればその論文は学問としては客観的に正当性があるとは言えなくなります。ですから客観性がある論文といえる保証としての正当な根拠が必要なのです。

 

この正当性に関しては混乱を生じやすい議論です。ただ疑いだせば、精神科の記述病理的論文の客観的信用性が失われてしまう重要な問題なのです。

 

そこにフッサールの登場する意味があります。

彼はカントを現象学という学問の始祖にして、独自に上記の問題を解決する方法を提示します。簡単に言えば

「先入観や思考を停止(エポケー)することは、人間の内面に現れる、あるがままの「事象そのもの」へ接近する手法であり、主観を排除することで、直観という認識の根源の機能が働き、思考の停止の中で見えてくるものは客観的、普遍的妥当性がある。」と論じました。

また、「根拠の基本は自分の感覚から得られる直感であり、感覚は普遍性を持っているからそこから得られるものは客観的であるといえる。」と論じます。

 

(精神科の代表的な古典であるヤスパースの精神病理学序説でもエポケーという方法が使われていますが、フッサールとは少し違うようです。)

 

フッサールは1859年モラビア(チェコ共和国東部の地方)生まれ、1938年に没しています。

彼の研究はナチスに敵視され、論文の多くも離散し、第二次世界大戦後に少しずつ発見されました。しかし、大量の著作があり、今でも復刊が続いているようですがまだ全体として未完のままです。

 

日本では、ドイツに留学していた木村敏(きむら びん)氏が中心となり、ドイツでもブランケンブルグなどがフッサールの研究を進めました。木村氏は日本に帰り、笠原嘉(かさはら よみし)氏などと共同研究を進め、日本でのフッサール現象学を確立しました。彼はその後京都大学の教授となり、日本の精神科の権威として尊敬されてきました。

 

当時から、現象学の世界での最大のテーマは「物」が対象ではなく「現象学的手法で他者を理解できるのか」という他者認識に関する根源的な問題にありました。ただ、確かなことはフッサールの書籍からの解析は事物や地平線の領域までは進んでいましたが、目の前にいる人間の認識、つまり他者の認識まではまだ進んでいませんでした。

フッサール自身も、またその後継者もこの問題の解決に悩んでいたようです。

 

こうした現象学の他者認識の限界点は木村氏の中で意識されていたのでしょうか。

実際、他者の存在を扱うのが精神科の論文だからです。

 

その点に関して難しいですが、要約すれば木村氏は独自に現象学を打ち立てました。彼によれば「人は生命一般の根拠として生命同士のあいだに絶えず密接な関係、『あいだ』を持ち続け、人が出会うとそれが保持され、意識の中に表象として現れ、認識されていく。そしてこの表象は根拠とのつながりからはずれないように制御され標識として役に立つ」として、その『あいだ』の構造を明らかにしようとしました。さらに、「思考対象な主体が意識の表象の面で自己という表象と違うものが自己ならざるもの、他者として区別され、自己が確立されていく、そして自己ならざる者との生命の根拠の認識としての『あいだ』があれば他者を認識することができる」という彼独自の「フッサール流の現象学的立場」からの説明を確立しました。

彼の理論はこの「あいだ」の説明と解釈が中心であったといえます。

 

他の精神病理学医も彼から学び、現象学的「エポケー」をすることで、他者を理解することは客観性があると保証されている行為と判断されていました。ここでは自己と他者の問題は乗り越えられていたのです。私もそれを確かめるためにフッサールの著書「イデーン」の日本語訳から勉強しなおしたのですが、フッサールの翻訳版の原文は実に読みにくい、難解な文章でした。なかなか進みません。フッサール自身の苦行を物語るようです。

 

そこで、理解のために現象学の哲学者としてフッサールの研究の第一人者である谷徹(たに とおる)氏の解説本を読んでみました。すると、フッサールの世界の特徴や、フッサールにおいて他者認識の困難さが解決されていないことについて述べられていました。

 

すると、日本の現象学的他者理解と矛盾します。本当に木村氏の方法で他者理解という難問が解決したのでしょうか。

 

その問いの答えにちょうど役に立つ興味深い本があります。

木村氏著作の「あいだ」という短い文庫本です。木村敏氏が著作し、奇遇にも友人である谷徹氏に解説を依頼した本なのです。

 

解説を読むと、谷徹氏の解説は多少辛辣なものでした。

木村敏氏の思想や個人の主体性の確立が、生命の根拠の「おのずから」に呼応して間主体的(かんしゅたいてき)な世界を構成しているということに強く共鳴しながらも、内容の現象学的側面には触れず、木村氏の理論は、むしろ解釈学の範疇ではないかと本音をやわらかく語っています。

 

ここで解釈学に触れますが、これは、聖書などのように絶対的テキストの原点が最初にあり、その内容の理解の仕方を研究する学問で、デイルタイ、ガダマーなどが代表です。

 

この解釈学は、存在そのものを問う現象学とは全く相容れない学問なのです。

 

最初に確立された教義があり、それを解説、理解を深めるための学問です。

つまり、谷徹氏は、木村敏氏の「あいだ」という理解は、先に教義のように「あいだ」という実在がありその解説をしている、解釈学的な書物であり、さらに言えば非現象学的な書物であると暗に述べているのです。

実際、翻訳の進んだフッサールの晩年の思索は、他者理解の困難さから、認識に至る原風景の再確認という事物の存在の垂直的深度の方向へ移動していたようです。

 

谷徹氏の意見が正しいとすると、木村敏氏に倣い、エポケーを採用することで現象学的理解に達することができると信じて、現象学的手法で描かれたと述べられている多くの論文は、実は現象学的でない、他者の客観的理解の根拠がないことになります。

 

これは大きな問題があります。私の手に余る問題であると考えています。

ぜひ「あいだ」という本の内容と解説を見比べてみてください。

 

木村敏氏同様、現象学的手法で症例アンネ・ラウについての「自明性の喪失」を描いたブランケンブルグ氏も以前来日したので、講演を聞いたことがありますが、彼は症例アンネに触れられたくない、むしろ若気の至りの書物であるというようなことを言外に臭わせていました。

 

症状の記述の現象学的方法に関しては難しい問題が残されているようです。

 

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不安について 第3章:日常生活を生きる生活者としての不安と死について

不安は先ほど述べたように、日常生活の中では不確実な未来に向けて「安全に生きたい」という生きることの緊張と同時に、失敗への強い恐れの葛藤からも生じます。ただ不安の対象が漠然としていて、明確ではありません。例えば年を取り、死が近づくことも不安を生み、怖くなります。不安が強い時、ICDでは「全般性不安障害」と診断されます。

 

もちろん幸せに生きている人は当然多くいます。ここではテーマ上、不安を持つ人の話を中心にします。

 

若い人では、将来へのさまざまな不安を抱えます。生活や経済面への不安と、人間関係への不安が中心です。仕事の問題や子供の育児、親同士の交流、実家との関係など。病気やけが、事故も心配です。生きていくことは多くの不安と隣り合わせなのです。

 

 

前章と重なりますが、特に、軽いものでも幼少期の家庭での虐待や学童期のいじめ、コンプレックスなどから生じたトラウマは強い隠れた不安として、その後も人生に残るようです。生きにくい人生になります。

それは常に、「同じようなことが起こらないか」という不安として残ります。その不安が強いと、未来への失望感が生じ、希望が持てず、重荷を背負ったように生きる苦痛となります。対人恐怖、怯えなどが続き、外界が怖くて引きこもりなどに広がる場合があります。最近見られる災害の恐怖や、性的事件も同じように強い形でトラウマや不安を引き起こします。

意識に上らずに恐怖が湧いてきて、自然に状況を避ける行為をしてしまう場合も多いです。

そのような時、本人は生きるつらさから死も考えます。

 

また、現在が幸せであっても「この幸せが壊れること、次に何か不幸が訪れること」への漠とした不安感はどこかにある場合があります。

 

不安の解消には、性格傾向や考え方、伴侶の存在などが影響します。外来で診ていると、仲の良い夫婦が多いようです。夫や妻を互いにいたわる伴侶が多いです。夫婦で助け合って、家庭を築く価値観自体は昭和の時代から、平成、令和と移る中で同じでしょうが、行動面での実際の助け合い、特に男性の家庭への協力は現代は明らかに増え、昔と変わってきているように感じます。良い伴侶と友人からの助け合いがあることなどで不安の多くが解消されるところがあります。

 

こうした不安な人生を生きることの苦難を「四苦八苦」と表現する仏教の世界観には、世界が実は無であり固執する対象でないと述べ、そうした理解によって欲望や煩悩、不安から解放、解脱させることができると説いています。宗教としての信仰の問題とは別に奥深い理性的な思想哲学が基本にあるといえます。実践することは難しいでしょうが、不安を解消する根本の考え方の一つといえます。

 

またそれは、ハイデッガーの「存在」の思想の根源への回答に方向性は違うかもしれませんが一番近づいているといえます。人間と世界の関係で「世界内存在」である人間の「存在とは何か」という問いに対して、そもそも世界や存在そのものが無であると説いているからです。

 

不安の中で死と向かい合って生きる「現存在としての人生」に近いのは老年期の人生でしょう。特に死の問題が切実なテーマである老年期について考えてみます。

 

老年期には多くの人が不安を抱えています。不安のない人はいないといってもいいでしょう。将来、死は確実にやってきます。今日をどう生きるかは大きなテーマです。

 

両親と同居している一人娘や息子などの3人家族などで、子供が強い不安を抱える場合も多いです。両親が死ねば自分一人になります。将来の孤独への恐怖に襲われます。親もそれがわかるがゆえに心配します。そして何とか自分たちの健康を維持することが、人生の最大の目標と考えます。

 

初老期は家庭的には、仕事も退職し、自分の子供も成長し、現代では夫と妻の二人での生活の方が多いです。

ただ二人だけになると夫婦のお互いの価値観の違いに悩まされる場合も多いようです。

二人の新たな価値観が必要になります。

 

退職し時間が余り、暇であることは工夫しないとなかなか大変なようです。退職して1か月もすると生活に飽きてきます。

毎日が日曜日であることは自由ではあるけれども、何の刺激もない退屈な生活なのです。

それほど趣味の無い人がほとんどです。このまま人生が過ぎ、老化することへの不安を覚えます。何とか、社会参加やアルバイトでもしようと考えます。

 

女性の方の中に「こんなはずではなかった。」と思わせる夫の姿に失望を訴える方が多くいます。今まで何を信じて、ともに生きてきたのかと迷います。何を言っても変化しない夫に、不安よりも生きることの、寂しさが生じます。ただ、もし相手に何かあれば、「将来一人になるのだろうか」と思う自身の孤独への不安が別に生じます。

 

また、息子夫婦との同居では、孤独とは別に嫁に気を使い、嫌われることへの不安から気疲れする人も多くいます。

 

ただ、こうした問題は、夫の側から提起されることはほとんどありません。男性は社会の中で希望通りにならないことに我慢することを学び、また、現代とは違い、家庭人としての経験が薄く、家庭での生活の仕方に慣れていないからでしょうか。あまり、妻への不安を漏らしません。時に妻から見ると対外的な外面だけいいように見える夫の姿への怒りもあります。夫なりには孤独にならないための工夫といえます。また、女性には時にカサンドラ症候群(パートナーや家族など身近な人が発達障害などのためコミュニケーションが取れず、不安障害やうつ状態などの症状がでること)を訴える方もいます。

 

ともかく、料理や買い物でも散歩でも夫婦で一緒に行動することが、気持ちを一致させるうえで大事なようです。

 

老年期は近づく死を前に、不確実なまま生きつづけることへの不安が生じます。

「自分は将来何の病気にかかり苦しんで死んでいくのか」という不安、「どのような形で死ぬのか」「事故にあわないか、経済的に大丈夫だろうか」「周囲の人や子供に迷惑をかけたくないが、孤独も怖い」など共通の多くの不安の中で日々過ごしている方が多くいます。死が近いのに何が起こるか、将来がわからないからです。高齢者の生活こそハイデッガーの「現存在」として死を意識しながら生を精一杯生きている存在ともいえます。

 

高年の老年期では体が動かなくなると、精神的不安は高まります。体は老化しますが精神は老化しないからです。

そうした悩みの強い人の中には、「できれば人に迷惑をかけず、そっと早く目立たないように死にたい。いい方法はないだろうか。」と常に考えている方も多いです。長く生きることが幸せだとは全く考えません。無理やり長く生きさせられるよりも、自分で死を選べればいいのにと考える方も多いです(なぜ、日本の病院では無理にでも長生きさせようとするのでしょうか。欧米と価値観が違うようです)。

死を意識しながら、毎日をコツコツと生きていくことや生きる価値観、死後の世界への関心、あきらめなどそれぞれに工夫して生きる必要があります。これまでの自分の人生が何であったかと考えさせられたり、時に悔やむ場合も多いようです。

 

不安と苦しみの中で多くの高齢者は生きるのですから、健康の保持、話し相手とともに、信頼、安心できる世界観が必要になっている状況にあるといえます。

生きるために何かが必要なのです。

 

身近なものでは、スポーツ教室やグランドゴルフ、近所の友人とのおしゃべりなどが時に救いになります。親しい友人が亡くなったりすると、急に寂しさが離れなくなるようです。高齢の男性の多くは仲間を作らず、孤独の方が多いです。女性のように感情を共有するための感情言語を持たないことも原因です。男性は元来理論的な言語が中心なので、仲間での感情の交流のためのおしゃべりは苦手なのです。男性は老年期を生きにくいものです。生物としての遺伝的体質かもしれません(今よくみられる自然災害などでも地域、友人から切り離されることは相当の苦痛をもたらします)。

 

そうした意味で、「デイサービス」などはよくできていると思います。初めに嫌う人も多いですが、慣れると安定します。親切に面倒をみてくれて、同年代の話し相手もいます。遊びもあり楽しめるようです。週2,3回の通所でも、かなり安定して満足感が高いようです。

 

不安とは少し離れた話題になりますが、新聞の広告を見ていると健康保持のための医薬品、食品などの広告が圧倒的に多いです。健康雑誌かと間違うほどです。社会のニーズを反映しているといえます。

 

日本は老人大国への道を着実に進んでいます。「死が近づく」その中を生きるための個人としての「老人の哲学」や「自分なりの生きる指針」がさらに必要なようです。それは同時に死生観と向き合うことが基本となります。死は日常の裏側に常に隠されているからです。

 

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不安について 第2章:不安とトラウマについて

不安は常にトラウマ(心の傷)と密接につながっています。不安とトラウマの関係をみてみましょう。

 

軽いものでは病院での注射の痛みなどの経験からトラウマが生じたりします、そのトラウマが予期不安を生みます。次の注射の時、トラウマの記憶から強い不安と恐怖が生じます。パニック状態で注射から逃げようと暴れたりします。症状が長引くのは、学童期の学校でのいじめの体験、事故や災害での死の恐怖、子供の死や親の病気などはその代表的な例です。時間が経ってもトラウマからの不安、恐怖のイメージが消えることはありません。

トラウマによる不安は、症状の軽いものから重症なものまでかなり幅があります。症状が重症になるのは、会社でのパワハラや学校でのいじめなど、対人関係での侵襲的な「対人恐怖」を起こすトラウマが特に強い場合です。この際には、場所を離れた自宅に戻っても、強いトラウマによる不安、恐怖が長引き、「対人恐怖」として持続し、後の人生まで影響を及ぼします。場所は限定されず、トラウマの発する恐怖、不安が長く人生を支配するのです。

 

そのためにその後の人生で社会への適応に苦労します。二次的に人生そのものに影響が広がるのです。

また特に重症なものとして、「幼児期の家庭生活」や「学童期のいじめなどの成長期」のトラウマの恐怖、不安は潜在的に持続します。長じて大学での生活や社会人になったときに、外部からの軽い刺激に対して強い反応を起こしやすくなります。大学では引きこもりなどが発生しやすく、社会人では、不適応や対人関係での疲れやすさ、抑うつ、不安を作る場合が多くみられます。結果的に長期の休養や退職などにつながります。

現在の仕事や環境そのものが直接の原因なのではなく、幼児期、学童期などからのトラウマが持続して、刺激に対して過剰に反応している状態といえます。

「反復性うつ病性障害」という病気がありますが、これは人生で何度もうつ病的発症を繰り返す病気です。こうした病気は昔のトラウマによる不安が影響している可能性が高いと思っています。

その他、形は様々です。離婚などの場合にもトラウマの影響がみられます。夫からのDVが原因とされ、離婚に至る場合は多くみられますが、時に妻の側に幼児期からのトラウマがあり、それが夫の態度に過剰に反応して、夫への不安、恐怖に広がり、別居して離婚の訴訟となる場合もあります。実際に夫のDVの場合も多いので、詳細に調べる必要がありますが、現実にはそうした動きは少ないようです。子供に離婚の悲劇が生まれないためにも、夫婦の関係やそれぞれの言い分のみならず、子供と夫との関係性もよく調べる必要があると思います(面会権に影響します)。

 

また、幅はありますが、トラウマは抑うつや適応の障害時に「自責の念」を生じやすくなります。さらに頭をたたかれたような過敏な反応が生じ、生きる意欲の喪失へとつながり、自傷行為や自殺に進みやすくなります。

 

さらに、対人恐怖を生じさせるパワハラやいじめが原因のトラウマの場合、そのトラウマの影響が広がり、「人酔い」のように人間集団への恐怖が強まり、店や駅、人混みなど、人の集まる場所に行くことに対して強く不安が生じます。集団からの視線や人混みに圧迫され、怖いのです。

さらに不安が進むと、外出への恐怖症になります。家に引きこもり、外に出ることにおびえ、疲れを感じ、家に引きこもるようになります。

 

パワハラなど心的外傷においてみられる特徴の一つに、心的外傷の対象に近づくことに対して、最初に強い不安が生じ、警告が発せられることがあります。さらに対象に近づくと緊張、興奮、恐怖などの強いマイナスの感情が出現し、神経が異常に高ぶります。この時、さらに危険を再現するフラッシュバックからの強い恐怖が生じます

 

この高ぶりのレベルは相当なものです。薬の量に換算すると、神経の高ぶりを止めるために通常の6倍から10倍もの強さの薬が必要になります。しかし、うまく対象から離れるか、避けられると、薬が必要なくなるほど不思議なぐらい急激に神経は安定します。

 

また、不安はあらゆる精神障害に合併します。不安障害、心的外傷後遺障害、強迫性障害、うつ病、統合失調症、ストレス反応、適応障害、自律神経失調症、人格障害などです、実際不安を伴わない疾患はないとさえいえます。不安は様々な症状の普遍的な基盤を形成しているといえます。精神の不調という恐怖の生じる事態に反応しているといえます。

 

人間関係でのトラウマにみられるのは、時に「死を連想させる恐怖」であり、さらに二次的には、「集団から疎外されることへの恐怖」につながります。社会の中では集団への適応こそ一番大事と教えられてきます。集団から疎外されることは、心の深層で「社会的死」を連想させる強い恐怖であり、不安の生じる基本にあると思われます。

 

次に、こうした不安発作などに発展しやすい不安とは別に、日常的に環境の中で発生している不安があります。生きていることの実存的な不安であり、まさにハイデッガーの世界です。次の章で述べます。

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不安について 第1章:不安障害 不安発作 恐怖症 について

不安は人間の生活に常に付きまとってきます。ここでは不安の問題について考えてみたいと思います。

不安の内容は、第1章では病気としての「不安障害」などの不安全般、第2章では「不安」とトラウマ、第3章では生活者として生きることとしての「不安」、という三つの領域にまたいで論じることにします。

 

まず、幅の広いテーマですので、生きることの不安を「全般」から見ておきましょう。

 

人間は誰でも幸福な安全な一生を願って生きています。ただ未来は常に不確実です。

未来に何が起こるかわかりません。

元来、人間は生きる方針を教えられないまま、何が正解かわからず、何も知らないまま生まれ、世界に放り出されて生きているのです。

こうした、「目的がわからず、生きていくことの不安定さ」が根本的な不安を生みます。そうした不確実さの中を生きる「存在」の意味の解析を進めたのが、哲学者のハイデッガーです。

 

不安のテーマを語ったハイデッガーについては、彼の著書は非常に難しいので、今回は簡単な要点だけにします。

 

「何も知らない世界に生まれて、生きていくことは常に不安と隣り合わせです。」

「人間はこの不安から逃れるために、時に背徳的生活、精神的に堕落して無関心や刹那的に生きようとする。」と述べます。

ハイデッガーにとって何が大事なのでしょうか。彼が語る存在の意味の一つは、「死を意識し、常に死と対峙して現在、過去、未来を意味づけることであり、それが実存的な人生であり、そうした人間の存在そのものが『現存在』である」ということになります。

 

ここでは難しくとらえず、生きていることは死と向かい合わせであり、「不安が死の恐怖の問題とつながっている」と理解してください。さらに第3章では、死と向かい合っている生きる生活者として、高齢者のひとたちの日ごろの生活がそれに近いという点を描きたいと思います。

 

まず不安障害と不安発作、恐怖症についてみていきましょう。

不安と恐怖は隣同士の関係です。互いに合併します。

単純な不安発作に多いのは、「広場恐怖症」、「特異的恐怖症」(特定の場所、物や状況に対し、異常に強い恐怖や不安を抱いたりすること)です。始まりは、「逃げられない場所にいる」と感じるところで生じます。高速道路の長いトンネルや飛行機、電車の中などです。

そうした場所にいて、ふと、何でもないような息苦しさや身体の違和感が生じると、脳の中で危険を察知します。その時に軽い不安が生じます。次に「何か変だ。」「どこへも動けない。」いう閉塞した状況が、閉所恐怖症のようにますます不安を広げます。強い緊張から、さらに原因のわからない「死への恐怖」に広がり、自律神経が興奮し、動悸や頻呼吸、冷や汗などが生じます。

 

こうした強い違和感、身体症状があるのに、「どこにも逃げられない。」「自分でも何が原因か、何が起こっているのかわからない。」「どうすればいいか対応の仕方がわからない。」のです。さらに不安が強まると、過呼吸によるアルカローシス(二酸化炭素不足)から意識の朦朧、手のしびれなどのパニック障害の症状が発生します。この段階になると救急車による病院への搬送が増えます。このように症状が少しずつ悪化のサイクルに入っていくのです。

 

このような不安は、不安の生じている途中でも、その「場所」からうまく離れられると症状は改善します。そのため「場面恐怖」とか、ICDの診断では「広場恐怖」あるいは対象が限定された「特異的恐怖症」と呼ばれます。

 

ただ、一度そうした経験を持つと、不安の意識がトラウマとなり、脳にしっかりと記憶される場合が多くあります。同じ場面や状況に近づくと、そのトラウマの記憶から不安発生への予感が生じ、似たような不安発作の発生への恐怖が生まれます。これが「予期不安」と呼ばれる状態です。

 

「予期不安」は最初に「悪くなったらどうしよう。」という軽い不安として生じます。次第に頭の中で「悪くなるのではないか。」と想像し、その恐怖が増幅され不安、緊張が高まり、ついに本当の不安発作に達してしまいます。そのため、本人は日ごろから意識的に同じ状況になることを避けようと行動します。例えば車の運転や飛行機など、恐怖を感じた場所や状況を避けるのです。

 

どうしても避けられず、高速道路などを運転しなければいけない時、強い予期不安が生じやすくなります。この場合も、その後恐怖心から不安発作にまで進みやすいところがあります。本人も理性的には「馬鹿げている。」と思っていますが、予期不安から生じる恐怖への発展には勝てません。理性の暴走といえます。

 

こうした場合、治療は割と簡単です。理性でのコントロールは難しいのですが、不安薬や抗うつ薬をうまく使うことで、不安に対して非常に効果があります。また、薬を持っているだけで安心して、不安による理性の暴走が食い止められたりもします。

 

 

さらによくある一般的な不安の別な例を挙げてみましょう。思春期などに、異性への過剰な意識から「対人緊張」が生じ、不安になる「社会恐怖症」などの場合です。

 

思春期の若い人では、「小さな失敗」や「異性の視線」が不安の原因になる場合が多くあります。レストランなどで(特に異性のいるところで)、会食していて、緊張から些細な体調の不良や気分の悪化、あるいは赤面した、などが原因で「緊張して食事がうまく取れない。」「嘔吐などが心配でうまく食べられない。」などの「外食恐怖」に発展する例もよくみられます。

 

また、「相手に迷惑をかける」「場の雰囲気を壊す」「常に嘔吐のことを心配して落ち着かない」など、対人関係に過敏で、「人にどう思われるか常に心配している状態」でも発生しやすいです。「社会恐怖症」と呼ばれます。

 

同じように対人緊張から生じますが、集団での発表やスピーチなど、目立つ場面で失敗を恐れる心理が働くと、強い不安が発生します。特に異性の視線が気になる思春期には、「見られることそのもの」から不安が生じます。

 

さらには高い目標達成を課せられたり、過剰に期待されているときにも同じように「期待を裏切るのではないか」または「恥をかくのではないか」などの失敗への恐怖から不安が生じます。

 

周囲の期待が強い中での、スポーツの試合や試験、仕事の成功なども同じです。高い目標や期待に応えようとするけれども、少し自信がないと、失敗を恐れる感情が生じ緊張します。その緊張感から強い予期不安が生じ、恐怖から自律神経のアンバランスが重なり、不安発作を生じやすくなります。

 

この場合、大変ですが、対策として「目標を下げること」や「相手ではなく日ごろの自分の力を出すことに集中すること」などを目指すと重圧から少し解放されます。理性的な対応が必要です。特に相手の存在を意識から外し、自分に集中できれば不安は軽くなります。ただ、ほどほどの目標と軽度の不安感は、逆に気持ちや集中力を高め、「負けられない」と気持ちを強くする効果はあります。

 

「慢性疲労」も原因になります。疲労の中での努力する苦痛がトラウマになり、それが広がると恐怖から強い不安が生じます。これはさらに、疲労の中でも「目標を達成しなければいけない」という焦りが混じると「パニック障害」に広がりやすくなります。そうした恐怖の中で無理をして努力する生活が続くと、家に帰っても恐怖が残ります。

疲れた翌日、職場に戻ることへの恐怖やさらに強い予期不安が生じ、職場に戻ることが困難になり、職場に行けないため休職状態になります。

 

不安はトラウマと密接な関係にあると述べてきましたが、トラウマは心的外傷の結果としての「負の傷跡の記憶」です。同時に、次の段階ではフラッシュバックなど「危険を警告する本能的な生命の防衛装置の役割」も担っており、個体を危険から遠ざける役割を果たそうとします。不安はその時にトラウマの先駆として「感情」の領域で生じます。そのため、理性でのコントロールが非常に難しいのです。

 

第2章に続きます。

 

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再考:HSPと機能不全家族、アダルトチルドレンと境界型人格障害について

第1章

このブログの最初のページにHSPという言葉を使って、家族という環境がどのように子供の成長に影響を与えるかを書いてきました。ただ、以前からの心理学の研究などで、家族の問題として、「機能不全家族」や子供の障害として「アダルトチルドレン」、あるいは「複雑性PTSD」「インナーチャイルド」などの言葉や概念があり、そうした研究が大きく進んでいたといえます。

 

それぞれを取り上げた本により、内容には多少定義に差がありますが、そこでは重篤な問題のある家庭がテーマでした。親からの虐待、ネグレクト、時に「毒親」などと評される親の存在など、明らかな家庭環境の強い負因があり、そうした環境の下では子供に心理的トラウマが生じ、その後の社会への不適応の原因となること、また、子供の発達や性格に対して大きな悪影響を及ぼし、いわゆる「アダルトチルドレン」などの不安定な人格をつくる、という構図が共通の認識でした。

 

今回、私がHSPという言葉で表現したかったのは、見かけ上それほど問題のない普通の家庭で育ち、特に虐待や毒親でもないのに「過敏で生きにくい」と訴える患者さんが非常に多いことから始まりました(私の場合は境界型人格障害の生じる重篤な家庭構造との比較と症状の類似点が頭にありました)。

そうした患者さんが「自分はHSPでないか」と聞いてくるのです。生きにくさの自覚の表現といえます。

HSP(過敏性)という症状の人にも「幅」があります。正常で、単なる性格的特徴や家庭のしつけやマナーから派生した軽症のものから、「アダルトチルドレン」や「人格障害」といわれる人格の不安定まで重症化するものもあります。ただ、クリニックを受診するのはそれなりの理由や生きにくさが潜んでいます(HSPの患者さんの特徴は最初の章を参照してください)。

 

私は穏やかな普通の家庭の中にも、強い症状を自覚させる問題が潜んでいることに興味をもちました。

 

HSPの家庭環境の問題を「機能不全家族」という概念と比較すると、程度の差はありますが、HSPと自覚する人の家庭構造、生きにくさの特徴は軽症です。親どうしの対立などを原因とする、軽い機能不全家族であり、広い意味で機能不全家族の軽症型に分類されると思います。

 

ただ、違いがあります。家庭という環境の中で、「虐待され、受け身的に我慢して育つ」イメージが強い一般的な機能不全家族の子供に比べると、自分はHSPであると表現する子供は、家庭を支えようとして、むしろ「積極的に、能動的に家庭内の人間関係のトラブルを解消する努力をしている」子供といえます。

現在、以前見られた激越な境界型人格障害(現在の情緒不安定性人格障害と類似)や機能不全の重篤な家庭が減ったように、現代では、3世代同居でも核家族中心の中で、平和で均一な求心力や同調性を求める時代の影響が、家族構造意識の背景にあるのかと思います。平和な安定を求めるがゆえに、家庭内の小さな対立が、子供にはむしろ大きな問題として意識され、自分の家族が壊れずに皆の仲が良くなるように、子供ながら気を使い、無理な努力をしているといえます。

 

こうして、多少の見る角度の違いにより、「機能不全家族」に対して「HSP」などと表現される病名のできる原因は、昔にさかのぼれば、1980年代頃からの心理学的研究では、「アダルトチルドレン」と呼ばれた患者さんが、精神医学では「境界型人格障害」と呼ばれ、心理学と精神医学でそれぞれ別な角度から同じ対象を研究してきたことと類似していると思います。

 

私は医師の立場として境界型人格障害の視点から多くの重症者を担当してきました。症状の重さや「境界型人格構造」とも呼ばれた強い人格の不安定さを身に染みる思いで感じてきました。

ただ、当時からも言われていましたが、自傷行為や人格の退行による不安定、二重人格、見捨てられ抑うつ、トラブルの行動化などの境界型の症状は、「アダルトチルドレン」と呼ばれる子供の重症型と同じ症状であるということでした。

 

私は当時、機能不全家族のことはあまり詳しくありませんでしたが、「境界型人格障害」が問題になり、「家族の環境の問題」が原因で境界型人格障害の症状が発生するのではないかと考えていました(当時精神科では精神病理学という分野に勢力がありましたが、病気の原因や治療法をあまり考えない傾向がありました)。

 

特に、私の勤務していた山形のような田舎では、3世代同居の家族が多くありました。重症の境界型人格障害の原因として、「強い戦前生まれの祖母が家庭内に君臨し、戦後生まれの母親や子供が人格的におしつぶされてしまう」という悪い家庭環境の下で重症の人格障害が生まれることを多く観察してきました。

 

最近の10年間、こうした重症の境界型人格障害は、社会や家族の構造の変化に伴い減少してきたといえます。典型的な境界型人格障害(ICD10では情緒不安定性人格障害)は現在あまり見かけなくなりました。時代が移り、家庭の環境が変化したためだと思います。

 

そうした、臨床の現場の環境の変化を感じていた中で、現在、病院勤務とは違う開業医として患者さんに対応する医療をしていると、HSP症状を訴える患者さんが、外来に大変多くいることがわかりました。特に若い女性に多いといえます。しかもその症状をさらに細かく調べると、昔担当した「境界型人格障害」あるいは別名「アダルトチルドレン」と呼ばれた患者さんの軽症版なのです。確かに全体の人格構造は安定してきています。ただ、症状として自傷行為や強い抑うつ感がみられ、「周囲への気遣い」や「感情の不安定」、「自己評価が非常に低い」などの点がよく似ているといえます。

 

今、この問題を改めて「機能不全家族」という別の視点の側から見ても、家庭の中に大きな虐待やネグレクト、強い否定はないけれども、軽度の人間関係のひずみや対立などがあり、どこにでもありうる「軽度の機能不全のある家庭構造」が浮かびあがってくるのです。

 

その際HSPという用語をあえて使う必要はどこにあるのでしょうか。

 

時代も変化し、以前のように家庭内に戦前の軍国主義時代の世代はいなくなり、家庭の価値観も欧米的な民主主義的価値観に統一され、均一化してきました。しかし同時に、日本的な「協調性」や「同一性」を求める社会の圧力は日に日に高まってきているといえます(余談ですが、社会的には「境界型人格障害」と入れ替わるように、全く別な分野ですが、コミュニケーションや協調性に乏しい「発達障害」の患者さんが大きく浮き彫りになり、クローズアップされてきました)。

 

そうした時代背景の中で家庭を調べてみると、確かに病気としてのHSP自体の定義はあまりはっきりしているとは言えません。しかしみな、「対人過敏」や「自己評価の低さ」、「インナーチャイルド(自分の中にある「内なる子供」)など、共通の病状や自覚を持つ、まとまりのある一群のグループが確かにあり、HSPは「そのグループのわかりやすい名称」であると理解するといいと思います。

 

HSPを訴える多くの患者さんの家庭内の環境を調べたところ、人間関係に多少の問題のある家庭ではあるけれども、それほど害のないように見える普通の家庭です。

しかもそこにあるのは、むしろ子供の側が、「対立などの問題のある家庭に適応するために、あるいは家庭を守るために、自分から積極的に努力している」という構図です。

子供は親などからの一方的な虐待を受ける「受け身の被害者」ではなく、「家庭内共同体の一員として、本能的に導かれるような能動的行動で家庭を守ろう」として、家族に多大に「気を使ってきた」と感じられました。

しかもこれは生きていく生物としての、人間にある本能的な行動だと思います。ですから、みな共通の症状を呈するのだといえます。

こうした一群をわかりやすく理解、整理するためにHSPという言葉を借りてきたとも言えます。

 

ただ穏やかな外見とは別に、心理学的には「インナーチャイルド」と呼ぶべき、自分の人格の中に抑圧されたころの幼児期の人格が二重人格のごとく共存していることも多くみられました。時に激しい怒りや抑うつ気分、希死念慮もそこを源にしているようです。これは「幼児期の我慢、忍耐の結果」を意味します。人格の自然な成長から取り残されたように、現在の人格の中に異物のごとく幼児期の自分が共存し、時に刺激により顔を出すのです。HSPは軽症といいましたが、原因や見かけの症状は軽症でも、人格の面での成長には大きな影響を与えているようです。患者さんに聞くと「自分の中にもう一人の子供の自分がいる」とはっきり答える方が多いです。

 

幼児期に家庭への適応のために甘えたい自分を抑えて「手のかからないいい子」を演じ、無理して順応してきたため、その自我の一部が成長できずに、大人の自分にそのまま取りこまれている構図でした。この人格の構造はかつての「境界型人格障害」に特徴的に強く認められた「二重人格」とよばれる「怒れる子供」のような人格と現在の人格との共存。さらに、「小さな刺激でその二つが容易に入れ変わるという人格構造」ときわめて類似のものでした。程度は軽症ですが、HSPの患者さんにも境界型人格障害と同じ種類の人格構造がみられるのです。この、成長の中で取り残された子供の頃の自我の名称は、たぶん、心理学的には「インナーチャイルド」という言葉で語られてきた構造と同じなのでしょう。

 

昔の時代も境界型人格障害の二重人格の爆発トラブルの発生への治療に大変苦労してきました。「人格の再統合」という難しいテーマがあるからです。

HSPの治療でも同じ問題があります。「子供の自我をどのように成長させるか」です。

 

ただ、結局そうした治療の考え方はシンプルです。親や信頼できる人、あるいは彼氏に自分の症状の基本を理解してもらい、もう一度幼児期の失われた体験を回復し、「甘えによる感情の解放」をやり直すのです。手段は簡単です。心の中にいる3歳児が喜ぶような「頭をなでる、ハグする、膝枕をする」などのスキンシップを通じて信頼を回復することです。現在いくつになろうが、「本人との間で安心した本人の子供がえりを保証し、一時の退行をさせながら、取り残された二重人格を作っている幼児期の自我を解放し、そしてその後ゆっくり見守りながら再成長させる」という根本の治療方針はどちらも同じだと思います。時間はかかりますが、精神面はしっかりと安定します。3歳児に言語は必要ありません。

これは30代、40代になっても同じです。常に心の中の構造は同じなのです。

年齢にこだわらず、恥ずかしいと思わないで、同じようなスキンシップを繰り返すことなのです(別な例で考えれば、恋人同士の親愛の情の交流が退行的に子供っぽく行われのと同じです)。

 

機能不全家族の側からも同様な症状の子供が多く見いだされると思います。たぶんHSPの概念はその一部を構成し、軽度の機能不全家族の概念と重なる部分も多いかもしれません。今後整理できたらと思います。

 

第2章

私が次に述べたいのは、自分が医師になったころ「境界型人格障害」と呼ばれた激しい行動化や感情の不安定がみられた一群が、最近かなり消えてしまった理由についてです。

繰り返しで重なるかもしれませんが、もう一度社会の変化という形で再考したいと思います。

 

「境界型人格障害」は最近のICD診断では「情緒不安定性人格障害」と呼ばれている人たちです。現在、数も減少し行動もマイルドになった印象を受けます。

 

私が医師になった昭和63年の少し前頃から、アメリカや東京で「境界型人格障害」の存在が認識され(ちなみに私の医局での境界型人格障害認定の第1号は私の受け持ちの患者さんでした)始めましたが、時代的に戦前生まれの祖母がほとんど減少する平成20年頃から大きく減少し、入れ替わるように同時期の平成20年頃から「発達障害」の全盛期に移行してきました。

 

私は、山形市の中心部にある民間病院で働いていましたが、病院が精神科の救急医療をしていた経緯もあり、全県下から問題のある患者さんが多く紹介されてきたり、患者さんの家族の喧嘩に警察が介入したり、自傷行為などによる救急搬送などで、多くの境界型の人格障害の患者さんが入院してきました。

 

当時から私が特に人格障害の専門の担当であるように思われていたので、多くの患者さんが集中してきました。それはとてつもなく厳しいハードな医療の連続でした。境界型人格障害の特徴である「人格の不安定」「激越な感情の爆発」「傷つきやすいもろさによる怒り」「度重なる自傷行為」「トラブルの行動化」などが頻回にありました。

 

家庭環境を調べると、重症の患者さんの多くは、「戦前生まれの祖母と同居し、戦後生まれの嫁である自身の母親と祖母との互いの価値観の相違」が対立の原因になっていたと思います。家庭内の力関係でも強烈で、信じられないような性格の祖母がいて、家庭は破壊され、孫である子供にまで影響し、症状も激越なもので、治療にずいぶん苦労したものです。

 

見方を変えるとこうした患者さんは広い意味で「機能不全家族」の重症型に含まれていると思います。

 

時代が進み、戦前生まれの祖母が減少してきた平成20年頃から、こうした重症の境界型の人格障害は大きく減少してきました。家庭内の構造が変わったからだと思います。

それは同時に、境界型の人格障害の発生する原因の一つに、世代間の確執があったということの証明になります。

 

時代が変わり、強烈な境界型人格障害が減少して、全体として落ち着いてきたのですが、そのころから新しい病気がクローズアップされてきました。「発達障害」です。

出現とともに圧倒的に存在が増加していきました。以前から発達障害の人は多くいたはずですが、それほど問題になりませんでした。忘れっぽいとかの個性の一部という見方だったと思います。

 

「均一」を求めるその後の社会の変化が、「発達障害」という非社会的障害をあぶりだしてきたとも言えます。昔は、「個性的」とか「自由人」とか言われた人たちが多数含まれていると思います。

 

昔は発達障害が気づかれず「個性」としてラベルされていた、以前の社会は、振り返れば不安定ではあるが、逆に自由を尊重し、ある意味で個性を許す、許容度の高い社会だったのかと思います。

 

しかし、発達障害の絶対数が昔よりもなぜこれほど急激に増えたのか、症状が強くなったのか真の原因は不明です。遺伝子の急な変化とみるのもおかしいです。あくまで私見ですが、発達障害の増加の原因は脳の発達の偏りですから、社会環境よりも母胎内に原因があります。日本人の栄養に、農薬や化学薬品などを含めた国外から輸入された食の影響で、変化があるかもしれないと思います。

 

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